琵琶湖に架かる橋2つ?? part3

2025年04月06日

【湖西地域の所得格差と停滞】

 

≪近江大橋≫

 

 「滋賀年鑑」1962(昭和37)年版に掲載された1958年の県内地域の所得差から、当時の地域格差が鮮明に浮かび上がってきます。全県平均を100とした場合、各地域の数値は次のとおりとなります。

 

 ・湖南:118.7

 ・湖北:101.1

 ・湖東:86.9

 ・湖西:76.5

 

 これらの数値を比較しますと明らかですが、湖西地域は他3地域と比べて大きく停滞していたことが窺えます。

 

 1964年に国立国会図書館調査および立法考査局が作成した「地域開発の課題と方法」には、地域の実情が次のように記録されています。

 

 『この地域の就業人口の60%はいまなお農民である。(中略)第一種兼業37%、第二種兼業にいたっては30%しかない。この数字からも、この地域が工業化からとりのこされていることがわかろう。従って湖西地域の生産所得構成は、第一次産業が50%であるのに対し、第二次産業は15%にとどまる。』

 

 高度経済成長期において、工業化による所得向上は国家的な優先課題でした。この背景の中、交通の障壁となっていた琵琶湖に橋を架け、アクセスを改善することで湖西地域の工業化を促進するという構想が浮上したようです。

 

 このことを受けて、戦後滋賀県内では架橋を求める運動が活発化しました。事業主体を巡る議論はありましたが、架橋地点については現在の琵琶湖大橋がある場所に一貫して計画が進められました。この地点が選ばれた理由は単純なことで、琵琶湖の東西を結ぶ最短ルートであり、水面幅が最も狭い場所だったからです。

 

 とはいうものの「狭い」といっても橋の長さは1,350mにも及び、1994(平成6)年に4車線化された新橋の最長部分は1,400mに達した。現代の長大橋建設が進んでいる時代とはいえ、当時としては北九州市の若戸大橋(橋長627m、1962年完成)をはるかに上回る画期的な長大橋プロジェクトだったのです。

 

 次回は【琵琶湖大橋の通行量急増と料金変化】についてお伝えしたいと思います。

 

琵琶湖に架かる橋2つ?? part3

琵琶湖に架かる橋2つ?? part3