琵琶湖に架かる橋2つ?? part2

2025年04月05日

【交通インフラ集中による地域格差について】

 

≪琵琶湖大橋≫

 

 琵琶湖の水深や技術的課題を考慮しなかったとしても、東西に橋を架けることは現実的ではなかったようです。

 その理由は、琵琶湖の水運が持つ独特の性質にあるようです。近代以前は琵琶湖の水運は盛んでした。しかしそれは単純に東西の港を結ぶものではなかったようです。

 

 「万葉集」に『八十の湊』と詠まれた琵琶湖の港の多くは、大津と密接に結びついていました。大津は京都へ物資を運ぶ中継拠点であり、各地の港から集められた物産がここに集約される仕組みでした。

 

 琵琶湖には大小合わせて約460の河川から水が流れ込み、これらの水路を通じて運ばれた物資が大津で陸揚げされ、京都へと送られる流通ネットワークが確立されていました。

 

 つまり、琵琶湖の交通は「南北各港から大津へ」の流れが主体であり、湖を横断する東西交通の必要性は低かったと考えられます。

 

 琵琶湖の東西を結ぶ交通の重要性が高まったのは、近代以降とりわけ戦後になってからです。その背景にはいくつかの要因が考えられますが、明治期には汽船の登場で一時的に湖上交通が活況を呈しましたが、1889(明治22)年に東海道本線が全通すると輸送の主役は鉄道へと移行しました。その後の道路整備の進展により、湖上交通はさらに衰退していくことになります。

 

 問題は、新たな交通インフラの整備が一部地域に集中したことだった。これによって滋賀県内の地域発展に大きな格差が生じることになります。特に水運の衰退によって湖西地域は著しく停滞し、県内の発展は極めて不均衡なものとなりました。

 

 次回は【湖西地域の所得格差と停滞】について申し上げたいと思います。

 

琵琶湖に架かる橋2つ?? part2

琵琶湖に架かる橋2つ?? part2